風花鳥

ハンドメイド作品の公開と、日々の徒然なること。

子供を産んだお話し。

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先月、子供を産みました。

よく「子供が産まれました」という報告を聞きますが、私にとって妊娠から出産という未知の経験は、主体を自分以外に置くことができず、報告は全て「産みました」となってしまいました。

膨らんだお腹を撫でつつ、そこに何が入っているのかしらと、ずっと不思議でした。勿論、赤子というものが入っていることはわかっておりましたし、健診の度に渡される解読不能の、人間に見えなくもないというエコー写真を繰り返し眺めては、嗚呼、早く出て来ないかしらと心待ちにしてもおりました。それでも、やはり実際にお顔を見ないことには、赤子という実感も何もなく、ただ、時折、私自身の意思とは関係なく動く何かがそこにいる。私は、私とは別の生き物を腹の中に飼い、育てている。時にエイリアン的な。寄生獣的な。時折、「今、私の中に心臓が二つあるの」などとおどけつつも、それが産道を通っている時でさえ、やはり不思議しかなかったのです。

お腰の辺りを通過する際に蠢く何か。明らかに通らないであろう空間を必死で通過しようとする大きな物はぎりぎりまで可能な限り手足を動かそうとしておりますのが、あの激痛の中でも鮮明にわかりました。正直、それが凄く怖かったです。ただ、確かなのは途中で止められないし、休めない。陣痛、舐めていたわ。世の中のお母様方はみんな違いはあれどこんな経験をしているだなんて、本当に凄い。尊敬しますと。そんな事を考えつつ、赤子にとっての出口がちょっと裂ける瞬間、パチンと切る瞬間、傷口を抉るように出て来る何か。何かが引っ張られる感覚。全て覚えております。痛みと、痛いという言葉も発せず、家を出る際に掴んだバスタオルを口に噛み締めて、噴出す汗と、寒さと。喉がカラカラで、そんな中でも頭は嫌にクリアーで。何か、たゆたっている精神を手繰り寄せるような、引っ張るようなイメージで。

そして、いざ出て来た赤子を見ておりますと、嗚呼、こんなんが入っていたのかと。嗚呼、本当によくここに来てくれたねと。分娩後、出て来たばかりの赤子と、出産には間に合わなかったもののあわてて駆け付けてくれた主人と3人、共に取り残された際、感動で打ち震えたり泣いたりなど劇的なことはなく、先程まで私の腹の中にいましたのに、急に外気に晒され、知らない所で、知らない人たちに囲まれて、大丈夫なのかな。そもそも外と中という概念とか産まれるということとかわかっているのかな。でも、本当に私の所によく来てくれました。そんなことを繰り返し思っておりました。

今まで赤ちゃんと触れ合う機会などなかったのですが、約3kg50cmってお腹から出て来るには大き過ぎるけれども、こうして外で生きて行くのには小さ過ぎないですかというサイズ感。出て来た当初、そっと頭の匂いを嗅ぐと、白い皿にちょんっと盛られた仔牛やら子羊の何やら的な匂いがして、なんだかいけない気がしました。新生児は泣き声すらまだ練習中で可愛らしくて、危うくて、触るのすらどうしたら良いのかわからなかったです。

祖母との電話で赤子の誕生を報告した際、お人形さんとはまた違った可愛さがあるでしょう。赤子は可愛いでしょう。そう言われたのですが、まったく可愛いの種類が別物で、ドールはドールで相変わらず可愛いし好きなのですが、赤子は赤子で比べる対象ではないのだなと。なんと言うか、可愛らしいに伴う不安とか責任感が桁違いに大きいと言いますか。1日の大半を眠って過ごしていた自分が3時間置きのミルクになんとか起きて、泣き声に反応して。嗚呼、よくできるな。そしてこれは母親だからではなく、赤子の命が腕の中にあるという途方もなく大きな責任があるからだと思います。オムツ代えも授乳も沐浴もすぐにできるようになったのは、決して母性からではないのだなと。出産前、母親は赤子の泣き声に反応するようにできているだとか、母親は疲れないものなのだとか、そんな母親神話を様々な所から聞かされてきたけれども、もうすぐ1ヶ月だというのに、今だ母性であるとか、母親であるという実感というものがわかりません。

嗚呼、そして赤子が産まれる前から、保健センターや病院などで、名前ではなく「ママ」や「お母さん」と呼ばれるようになり、私は何処に行ってしまうのだろうと、ずっと不安だったのですが、子供を産んだからって私は何も変わらないし、世界も変わらないのだなと、ほっと致しました。

丁度、昼の12時に破水と陣痛開始で、そこから陣痛感覚はすでに2、3分。病院に電話をし、タクシーを呼び、這う様に車の通れる大通りまで歩き、病院に到着したのは12半頃。そして産まれたのは14時17分と、初産にも関わらず超スピード出産。安産だったねと言われて、安産ってそんなに痛くないものだと思っておりましたと。何となくイメージする安産というものと、あの苦痛はまったく繋がらなくて、そう言われる度にもやもや致します。寧ろ身体が疲弊しきっていない分、意識もはっきりしており、痛いという記憶が鮮明に残っております。それにこれだけ破水陣痛開始から赤子誕生までが早いと、もし病院が遠かったら、陣痛タクシーの登録をしていなかったら、あの時、もう少し様子をみようかと病院への電話を躊躇しておりましたら、よく車内で出産などのびっくり出産特集的な状態になっていたのではないかと怖くもあります。まぁ、そんなことは考えても仕方のなく、実際はこうして母子共に無事健康にいるということに尽きるのですけれどもね。

出産直前まで、そしてPCが起動できない分、すぐ直後からツイッターをし、7月中のブログは書き溜めていたものを自動更新で。ネットの世界に常駐しておりましたが、流石に自分の時間は激減致しますね。この記事を書くのにも3日を要しました。手仕事の方も暫くお休みです。もう一つのアニメ感想の方のブログも、そもそもアニメを見る時間もなく、録画は溜まる一方です。退院したばかりの頃は、赤子も寝てばかりでございましたが、最近は愚図ったり泣く事も増え、きっと私の身体が快復し、赤子のいる生活に慣れるまでイジーモードでいてくれたのかなと思ったり。全ては赤子中心の生活です。ですが可愛いから仕方がないのです。あんな可愛らしいのですから当然です。

そんなこんなで、私事で申し訳ないのですが、販売物関連などのお問い合わせや、ここの更新も、ツイッターでのやりとりも、すぐには返信できなくなりますのでご了承頂けらなと思います。